最近ある人からだらしないと言われて心に深い傷を負っていたところ、「引っ越しを寝過ごす」という口に出すのも憚られる人類史上最悪の業をなしてしまった。
ではなぜ己の業をこんなところでわざわざ公開しているのかといえば、決別のためである。
私は他人でも自分でも、適当な人が大好きだが、己の適当な生き方によって人様に迷惑だけはかけてはいけない。と、齢21にして身をもって悟った。
幸い素晴らしい業者の方だったので明日に変更していただけることになったが、まずは昨晩の徹夜を反省しなければならない。
昨日の私は15時ごろ大学から帰り、洗濯物を回したりしながら遅々として荷造りを始めた。
今朝8時に業者の方が来るとのことだったので、「あと17時間か、余裕だな」と睡眠を度外視した計算を行い悠々と時間を過ごしていた。
日付が変わる頃に、「これ以上詰めると明日の8時まで人が暮らすには空間がもたない」というところ(※体感)まで来た。
※体感…実際はそうではないということ
大学の図書館で借りた本が10冊積み上がっているが、これは返却期限を待たずに一旦返すべきだろうか……
お風呂いつ入ろう、洗面所が寒すぎる……気温…氷点下3度……ひょ、ひょ………
洗面所…そうか、シャンプー…洗剤…ボディスクラブ…詰めなきゃ……
台所も…フライパン…スパゲッティ…味噌…オイスターソース…冷凍ほうれん草……
た………たすけて…!?
と次々に現れるタスクになんだか疲弊し、とりあえず課題でもやるかと椅子に座ったが、手元の照明を段ボールに奪われている。クソ…返せ…と思いながら、ぽけっとしていたら4時になった。信じてほしい。4時になったのだ。
とりあえず寝て、7時に起きてベッドを解体しようと思い、寝た。Siriに「明日7時に起こして」と言ったら、いつも「24時間以上先のアラームはセットできません」と諭されるのだが、いい加減わかって欲しい。私の「明日」は「次に目を覚ますとき」のことである。一体この世の誰が24時間以上先のアラームをセットするんだ。短期冬眠か。
…さて、起きたら、9時だった。
本当に素晴らしい業者の方だったので滞りなく日時変更できたが、電話を切ってから「コイツマジでヤバいな」と、思ったし思われたに違いない。
不動産屋にも連絡し、なんとか明日に変更が完了した。
恐る恐る母にLINEで報告すると、
「しっかりしてくれよ。」と言われ、
「本当にしっかりしてほしい。」と返信するしかなかった。
本当にしっかりしてほしい。
号泣する母
私の父親は世界中の神経質を集めたような神経質で、タンパク質とか水分ではなく神経質でできている。その割に大胆なところもあるが、ありもしないところにリスクを見出すのが得意な人で、安全な場所で何度「危ない!」と言われたか分からない。滑って転んで頭打って…と、よく三歩以上先の危険性で怒られたものだ。
私は父親に似ているとよく言われるから、少し前までは自分のことも神経質だと思っていたが、だんだん母の楽観主義が私のアイデンティティの多くを占めるようになってきた気がする。
母の適当さは、長年三姉妹の母として過ごすうちに身についた主婦的適当感覚だろうが、私はその「感覚」の部分だけを引き継いでしまったのかもしれない。
生活の知恵は、知恵の結果の部分だけを真似びても、次に活かせないただのズボラ道具である。
それの生まれた経緯を知り、それの生まれる瞬間を追体験してこそ、やっとそれは「知恵」と呼ばれるにふさわしくなる。
レシピのtipsを読むか読まないか、みたいなものである。
あるいは追記。レシピの追記には「一番重要なのは…」と秘伝が記されていることがままある。
こういうのを丁寧に読み、知恵を知恵として取り込んでいって、やっと最後に、合理的な選択ができるのだ。
ズボラ連載最終回にして、ズボラのなんたるかについて考えさせられた。
season 2のタイトルが決まった。
「ズボラを目指す丁寧な暮らし」である。
noteに移行しようか迷うなあ。現状noteはこちら以上に趣味を全開しているのであまり知り合いに読まれたくない記事、という一応の棲み分けだが、noteの方が不特定多数に読まれやすい。
そういえば先月こちらの月間PVが100を超えました。ありがとう愛してる。モチベーションは読まれたい<書きたいだが、読んでいただけるのがやはりとても嬉しいことである。
重要ではない方の追記:
荷造りで自分の持ち物を見つめるうち、もう少し丁寧に暮らしていてもバチは当たらんだろうと思った。幸福を前にして、損得勘定は無力である。