大阪とは一体、真っ平らな土地である。
然れども府を半月に見立てたとき、その背中は頭から足先まで、ほとんどぐるりと山を擁している。
言いかえれば、各県との県境に山を背負っているのが大阪である。
今回訪れた貝塚市の「水間(みずま)」はさしずめ、太ももの裏、いや、正確には、裏に差し掛かるちょうど手前、といったところに位置する、まさに山あいの地だ。
「山あい」
全身ノンステップの珍しいコミュニティバスを降り、水間寺へ向かった。
山の近くにしては、ずいぶん道が平らだった。
山に来たという感じが無く、ふと眼前に山が見えて、突如「山が近い」と思ったのだった。
"山に向かって平地を進んでいく"という経験は、平地や、あるいは山中に住む人にとっては、なかなかないものではないだろうか。
これが「山あい」ということなのか、と1人納得する。
そういえば、山と山のすき間にやたらかっこいいコンクリートの橋がかかっていて、自動車が小さく走っていた。
真下からの見上げなど、深い緑と、彩度の低い空色との共演が、なかなかどうして奇しく格別であったが、こういう橋はきっとよくあるけれど私が知らないだけなのだろうな、と見ていた。
がやはり、こんなに足元が山に埋もれているアーチは、「山あい」でしか見れないはずであると今になって思い直す。
なるべく言葉だけで伝えたいのだが、シェアハピである。
自動車道にしては構造が軽やかでスッキリしている。見れば見るほど美しい橋だ。
「秬谷(きびたに)川橋」と言うらしい。
それと、こんなことを解説するのは野暮にも思えるが、空の彩度が低いのは、春の高気圧が生む逆転層(空気のフタ)によるものらしい。春霞が晴れに比例するとは、知らなんだ。
「ふるさと」
自分のことは都会っ子だと認識しているが、どうしてか懐かしい風景の連続であった。
バスの車窓から見えた桜咲く団地のベージュは、何やら夢のようですらあり、ない筈の記憶が掻き立てられる。
バスを降りると、小さな古い工場と、仮囲いパネルで覆われた得体の知れないスペースに隣り合って、広い畑でおばあさんが作業をしていた。
日本の町は整然さが無くて美しくないと言われるが、雑然こそ人間社会の美しさであると私は最近思う。歴史は生活の連続であり、生活は留まらない。留めるようとする歴史はもはや贋物である。
細い道を進むと、遠足と思しき小学生たちとすれ違った。スーパーの傑作ソング、♪ソソーラソミソを口ずさむ子に、思わず笑みがこぼれる。なんて普遍的なメロディー。
崩れかけの、というか崩れ始めている牛乳屋の看板のかかった木造小屋には、さすがに懐かしいとは思わなかったが、向かいの公園の小さな遊具たちで童心に返るのに時間はかからない。
等高線に沿って畝る畝、輝かんばかりの白を誇る新築、山の緑にアクセントをつける桜の木。
たまごっちをじゃら付けしていた都会の同級生を思い出すのはどうしてだろう。
帰宅
まだまだ歩きたい気がして、一駅手前で降りて歩くことにした。
桜はここでも満開だ。いや、こちらの方が綺麗かもしれない。桜を並べて植えたくなる気持ちは、最近になって分かってきた。
黒いメットを被ったおじいさんが、人家の桜を熱心に撮っている。自宅だろうか。私は少し離れたところからこっそり観察した。おじいさんはしばらくして満足気に、道の向かいに停めてあった原付に戻った。きっと知らない人の家だ。帰って奥さんに見せるのかな、と私は妄想し、振り返ると、ベビーカーをひくお母さんがにこにことおじいさんを目線の先に捉えていた、ように思い、私はますますほっこりしてしまった。
向こうから、オフホワイトのセットアップのマダムが、日傘を差し、551の紙袋をひとつ携えてコッコッと歩いてきた。そのちぐはぐな取り合わせをぼんやり見つめていたら、どうしてだか、両目に涙がこみ上げてきて、慌てて目を伏せてすれ違った。
気づかないうちに、ずいぶん大阪のことが好きになってしまったのかもしれない。
カーポートの屋根めいっぱいに吊るされた寄せ植えの籠に、脚立を使って肥料をあげる近所のおじいさん。その背中に職人気質を見て、小旅行は終了した。